秩父シルク一元化プロジェクトの挑戦

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秩父はかつてシルク産業で栄えた地域であり、私たちはその歴史を受け継ぎながら、新たなプロジェクトに取り組んでいます。

 

このブログでは、シルク産業の再生と、秩父地域への貢献を目指した「シルク一元化プロジェクト」の背景や今後の展望について紹介します。

 

 

 

シルク一元化プロジェクトの起源

弊社が会社を立ち上げたのは2019年ですが、2017年頃からシルクに携わる機会がありました。

 

埼玉県秩父市は、かつてシルク産地として知られていたことが、歴史を調べるごとにわかってきましたが、それまでは秩父の歴史に触れる機会や興味がなかったため、知る由もありませんでした。

 

そんな中、秩父の織物に携わる機会を得た際に、秩父の歴史を初めて調べ始めました。

 

もともと秩父自体は年々人口が減っており、大学がないため、成績の良い生徒は熊谷や飯能の学校に進学し、そのまま秩父に戻ることなく大学、就職と進んでいきます。

 

そのため、これまで秩父には半導体企業やキャノン、セメントなどさまざまな企業がありましたが、徐々に衰退していきました。これではまずいと秩父市は観光にフォーカスし始めたのです。

 

 

 

秩父観光の再興—観光地としての認知度向上

2010年のバンクーバーオリンピックの際に浅田真央さんがお姉さんからもらったお守りが三峰神社の気のお守りという噂が流れ、三峰神社に長蛇の列ができました。

市役所職員が計画した芝桜が2011年頃に認知され始め、日帰りでの旅行客が増えました。

 

また、2011年にテレビで放映された秩父出身の脚本家の作品『あの花』がブレイクしました。その後、2013年には実写版映画も公開され、秩父の街並みや秩父事件の舞台となった椋神社、龍勢(お祭り)などもフォーカスされたことで、聖地巡礼をするファンが増え、秩父の観光地としての認知度が大きく向上しました。

 

2015年頃から西武鉄道は、女優の吉高由里子さんをCMに起用し、TVCMなどで秩父観光キャンペーンを展開しました。このきっかけとなったのが、西武秩父線の廃止計画でした。

 

詳細は下記URLに記載されているので、気になる方はこちらをご覧ください。

 

 

 

西武ホールディングスとサーベラス

2006年、西武ホールディングスはサーベラスと共に経営再建を目指しましたが、その際に「不採算路線の廃止」が提案されました。

 

しかし、その後両者の関係が悪化し、2013年に敵対的TOBが行われ、その際に西武秩父線の廃止が公表されました。この路線は、秩父に住む人々にとって都内へ行くための貴重な交通手段であり、廃止されると秩父にとって大きな痛手となります。

 

この問題は自治体を巻き込む騒動に発展し、西武鉄道は再上場以降、西武秩父線の利用促進に力を注ぐようになりました。

 

その後西武ホールディングスは2016年にレストラン列車「52席の至福」が運行を開始し、さらに2017年には西武秩父駅前に温泉施設「祭の湯」が開業しました。CMTVでは2018年から女優の土屋太鳳さんを起用し、秩父の観光地の認知度がさらに高まりました。

 

秩父はかつて、西武鉄道が軽井沢までの路線を計画していました。その中間地点が秩父であり、当時、西武はその尾根に大規模な土地を購入し、ミューズパークを建設しました。

しかし、新幹線が先に軽井沢に通ってしまったため、その計画は実現せず、ミューズパークは無償譲渡で秩父市に引き渡されました。

 

秩父のテーマパーク、ミューズパークは今!

 

シルク産業と三大曳山祭りのつながり

秩父は、元々米が取れない土地だったため、年貢を納めるために繭を生産していたことが、シルク産業の発展に寄与した要因の一つです。

 

日本三大曳山祭りの一つでもある秩父夜祭は、もともと「絹市」と呼ばれ、繭を売るための祭りでもありました。そこで得た収益を使い、祭りの屋台を豪華に作り上げてきたのです。

 

日本三大曳山祭りの一つでもある秩父夜祭。

https://www.3maturi.com/nippon/hikiyama/

 

 

 

日本三大曳山祭りを見てみると、共通点に気づく方もいるかと思います。

 

まずは祇園祭(ぎおんまつり)
これは京都のお祭りです。京都は西陣織や丹後のちりめんで有名です。これらの原料となるのはシルクであり、京都はシルクの有名な一大産地です。

 

次に飛騨高山の「高山祭」
飛騨高山といえば、世界遺産である合掌造りの白川郷が有名です。この合掌造りの家は当時、養蚕農家であり、養蚕をするために家がどんどん大きくなったそうです。

 

https://note.aktio.co.jp/play/20211124-1347.html

 

そして、秩父夜祭
秩父夜祭はもともと「絹市」と呼ばれ、繭を売るための祭りでもありました。そこで得たお金を使って、屋台を豪華にするために費やされていたこともあり、非常に豪華な作りになっています。毎年、屋台を組み立てては分解する作業を繰り返しています。

 

 

この三大曳山祭りを見ると、どの祭りの屋台もかなり豪華であることがわかります。また日本三大曳祭りのキーワードは「繭」です。

このように、養蚕はかつて「金のなる木」とされ、シルク産業は大きな繁栄を見せていましたが、現在では衰退の一途をたどっています。特に、国産の繭を生産し、それを糸にする養蚕農家は減少の危機に瀕しています。高齢化の影響もあり、織物産地全体が厳しい状況に直面しています。

 

続く

 

 

 

 

 

この記事を書いた人

堀口 智彦

埼玉県秩父市出身。大学在学中独学で洋服デザインを学ぶ。2007年に渡英しLCF卒業後帰国し自身のメンズブランドを設立。2015年にブランドを休止し、企業にてチーフデザイナーとして3年間従事。その後シルクと黒文字に出会い、現在は株式会社ISILKの代表取締役。

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