渋沢栄一とは何をした人?―秩父鉄道と秩父セメントの発展に寄与

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皆さんももう新しい新札は手に入れましたでしょうか?なかなかキャッシュレスの時代になってきたためお札や現金を持ち歩く機会も少なくなったと思います。

 

そんな中、20年ぶりの新紙幣発行になり、その一万円札が福沢諭吉氏から渋沢栄一氏にバトンタッチされます。でも実際皆さん渋沢栄一ってどんな人?何をした人?なのかわからない人も多いと思います。

 

今回は弊社の代表の出身地でもある秩父の企業と一緒に紹介したいと思います。

 

 

渋沢栄一とは

渋沢栄一氏(1840-1931)は、日本の近代経済の父と称される実業家であり、多くの企業の創設や発展に寄与しました。彼は、明治時代から昭和初期にかけて、日本の産業の基盤を築き上げ、その影響力は現在でも広く認識されています。

 

渋沢栄一の経済活動は、多岐にわたり現在でも携わった企業は大手ばかりです。彼はまた、2024年に発行予定の新しい1万円札の顔としても知られています。また秩父鉄道や秩父セメントの設立のきっかけを作った人物としても知られています。

 

渋沢栄一が関わった企業は数多く、その中には現在も名を残す大企業が多く含まれます。以下は、渋沢栄一が設立・運営に携わった企業の一部です。

 

  • 第一国立銀行(現在:みずほ銀行): 渋沢は、国立銀行条例に基づき設立されたこの銀行で、日本の金融システムの礎を築きました。
  • 東京証券取引所: 渋沢の指導のもとで設立され、現在も日本の主要な金融市場として機能しています。
  • 帝国ホテル: 渋沢の経営により、日本初の本格的な国際ホテルとして名を馳せました。
  • 東京ガス: 渋沢の指導により設立され、現在も主要な都市ガス供給会社として知られています。
  • 王子製紙(現在:日本製紙): 渋沢の支援のもとで設立され、日本の製紙業界の発展に大きく寄与しました。
  • サッポロビール: 渋沢の支援で設立され、日本のビール市場に大きな影響を与えました。
  • 日本郵船: 渋沢の支援により設立され、現在も世界的な海運企業として活躍しています。

 

 

 

渋沢栄一の初期の活動

渋沢栄一は、1840年に武蔵国(現在の埼玉県深谷市)で生まれました。彼の若い頃は、商業活動に従事し、その後、幕府の命でフランスに留学し、先進的な経済思想を学びました。

 

帰国後、彼は官僚として働きましたが、官職を辞して民間に戻り、日本の産業発展に力を注ぐことになります。

 

 

 

秩父鉄道の創設と貢献

秩父鉄道は、1899年に設立され、埼玉県秩父地方と周辺地域を結ぶ重要な交通インフラを提供しました。渋沢栄一は、この鉄道会社の設立に深く関与し、資金調達や運営の指導を行いました。

 

秩父鉄道の開通は、地域の経済発展に大きな影響を与え、秩父地方の産業や観光業の発展を促進しました。

 

旧上武鉄道現在の秩父鉄道を設立したのは秩父で養蚕糸問屋を営んでいた柿原萬蔵氏になります。その後病のため義弟の柿原定吉氏へ引き継がれました。柿原萬蔵氏の銅像が秩父の羊山には立っています

 

 

 

渋沢栄一は、秩父鉄道の熊谷から秩父の開通の支援にあたり、縁戚である本庄出身の諸井恒平(秩父セメントの創業者)や小鹿野町の実業家山中隣之助(当時は浪速銀行の頭取)などの協力により秩父の石灰から取れるセメントが投資対象となると判断し、資本を集めることに成功しました。

 

 

彼の経営理念と信頼性は、多くの投資家に安心感を与え、プロジェクトの成功に繋がりました。鉄道の運行開始後も、渋沢は運営の効率化と地域との連携を重視し、持続可能な経営を実現しました。

 

秩父鉄道の地域を結ぶ歴史と現代の架け橋

 

 秩父セメントの発展に対する影響

秩父セメントは、秩父地方の豊富な石灰石資源を活用し、1898年に設立されました。渋沢栄一は、この事業にも深く関与し、経営指導や資金調達を支援しました。

 

秩父セメントの成功は、日本の建設業界における重要な基盤となり、インフラの整備や都市開発に大きな貢献をしました。

 

経営の革新と技術導入

渋沢栄一は、秩父セメントに最新の技術を導入することに注力しました。彼の先見性と経営手腕により、同社は品質の高いセメントを安定的に供給することが可能となり、市場での競争力を強化しました。

 

渋沢はまた、労働環境の改善や従業員の福利厚生にも力を入れ、企業の持続可能な成長を目指しました。

 

秩父のシンボル 天然の石灰石がとれる武甲山

 

渋沢栄一の理念と今日への影響

渋沢栄一は、「道徳経済合一」を掲げ、経済活動において倫理と道徳を重視しました。彼のこの理念は、多くの企業経営者に影響を与え、現代においてもその精神は受け継がれています。

 

企業の社会的責任(CSR)や持続可能な開発目標(SDGs)など、現代の経営理念にも通じる考え方を、渋沢は既に実践していたと言えるでしょう。

 

まとめ

渋沢栄一は、日本の近代化に大きく貢献した実業家であり、彼の活動は今日の日本経済の基盤を築く一助となりました。秩父鉄道と秩父セメントの発展に対する彼の貢献は、地域経済の活性化と日本全体の産業発展に繋がりました。

 

渋沢の理念と実績は、現代においても学ぶべき価値があり、未来の経済発展に向けた指針となるでしょう。

 

また埼玉県の秩父市が今あるのも鉄道やセメントというシルク産業が衰退する中で、秩父市の基盤となる事業になったことは間違いありません。現在の東京は秩父のセメント無くして存在しなかったと言えるのです。

 

 

この記事を書いた人

堀口 智彦

埼玉県秩父市出身。大学在学中独学で洋服デザインを学ぶ。2007年に渡英しLCF卒業後帰国し自身のメンズブランドを設立。2015年にブランドを休止し、企業にてチーフデザイナーとして3年間従事。その後シルクと黒文字に出会い、現在は株式会社ISILKの代表取締役。

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