養蚕という農業と秩父の歴史
はじめに
私たちISILKがシルクという素材に向き合うなかで、あらためて見えてきたのが「養蚕」という農業の歴史と、秩父という地域との深いつながりでした。
ここでは、かつて日本を支えた地域産業である養蚕の価値と、これからの未来へのつなぎ方について、歴史・構造・想いの3つの視点から紹介します。

養蚕と秩父のはじまり
秩父は、かつて「大宮郷」と呼ばれた地で、農地に乏しい山間部という環境から、自給自足の農業に加えて養蚕業が盛んになった地域です。その歴史は古く、秩父神社の伝承では、祖神である知知夫彦命(ちちぶひこのみこと)が養蚕をこの地に持ち込んだとされています。
明治から昭和初期にかけて、養蚕は日本の主要産業のひとつとして国家経済を支えました。秩父においても、住民の9割以上が蚕を育て、糸を紡ぐことで収入を得ていたと言われています。農家の多くは家の一部を「まぶし」と呼ばれる蚕室にし、家族総出で養蚕に取り組んでいました。
昭和の初め頃までは、街のいたるところで機音が響き、桑畑が広がる風景が日常そのものでした。学校の帰り道に養蚕の様子をのぞくことができた記憶を持つ人も少なくないでしょう。

シルクができるまで
養蚕は、以下のようなプロセスで成り立ちます:
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蚕の卵を育てる(種付け)
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幼虫に桑の葉を与えて育成する(約1ヶ月)
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繭をつくる(1週間〜10日間)
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繭から糸を取り出す(座繰り・繰糸)
1つの繭から取れる糸の長さは約1,500メートルとされ、細く長いこの糸を撚って整えることで、ようやく「絹糸」として使えるようになります。
繭が完成した後、蛾が羽化して繭を破ってしまうと、糸が寸断されてしまい商品にならないため、ほとんどの繭は「乾繭」として加熱または冷凍し、内部の蛹を不活性化させます。

秩父銘仙と機屋文化
繭から取れた糸は、秩父銘仙(ちちぶめいせん)と呼ばれる絣(かすり)織物として発展しました。染め分けた糸で文様を織り出す技法は高度な職人技が必要とされ、大正から昭和にかけては全国的に人気を博しました。
最盛期には秩父に数百軒の機屋が並び、秩父は京都にも並ぶ「絹の街」としてにぎわいました。芸者や歌舞伎が集い、賑やかな花街文化が息づいていた面影は、今も一部の建物や地名に名残を残しています。
現在、秩父で残る養蚕農家はわずか7軒、秩父銘仙を本格的に織れる工房は3軒ほどとされ、風景とともに技術や文化も消えつつある現状です。

シルクの循環を取り戻すために
本来、養蚕農家が育てた繭を地元で糸にし、地元で織物にし、地元で販売する。このような地産地消のサイクルが、秩父にはかつて当たり前のように存在していました。
私たちISILKでは、この循環の再構築を目指しています。着物の需要が激減した今、昔ながらの工程をそのまま継ぐことは難しいかもしれません。しかし、シルクには肌触りや保湿性など、現代のライフスタイルに活かせる特性がたくさんあります。
「眠りの質を高めるシルク寝具」「旅や美容に使えるシルク小物」「クラフト体験や観光と組み合わせたストーリー性」など、日常に取り入れやすいプロダクトと体験を通して、シルク産業の新たな価値を育んでいきたいと考えています。

繭と香り、文化の継承
毎年12月に行われる秩父夜祭(ユネスコ無形文化遺産)は、実は「繭」の収穫に感謝するお祭りとして始まったとも言われています。山車の豪華な刺繍や衣装のルーツも、絹文化に深く根差しています。
しかし今、その起源を知る人は少なくなりました。
ISILKでは、繭や養蚕にまつわる知識を体験に変え、商品に変え、次世代に伝えていく活動に取り組んでいます。
秩父神社の隣にある「まつり会館」では、BLACKLETTERSの商品も展開中です。香木・クロモジの香りを通して、秩父が育んできた“美意識”や“ものづくり精神”を体感することができます。
ぜひ一度足を運び、秩父という土地の記憶に触れてみてください。

神聖なる香り、お香。そんなお香を身近に感じられる新しい形
BL String incense
商品紹介
String Incense 紐お香
神聖なる香り、お香。そんなお香を身近に感じられるように。
紐に火をつけるとお香のように香りを楽しむことができる。
プレゼントのラッピング用に使用しても、どんな用途でも使用できます。
何気ない日常のものから香りを感じられる。遊びごころのある商品になります。
Smoky lavender
スモーキーラベンダー
スモーキーな包み込むような重厚感のあるラベンダーの香り
BL String Incense <Spicy Agarwood>
商品紹介
BL String Incense <Warm-hearted flower>