秩父の産業だった養蚕という農業

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シルクに携わること

シルクに携わることになり勉強を始めて感じたこと。今まで漠然と地元にいることを当たり前と感じながらすくすくと育ってきました。小学校の通学路で蚕を見せてもらったり、たくさんの桑畑があったり、機音も色々なところから聞こえた頃から比べると中学くらいにはその機音自体聞かなくなった記憶が頭の中に微かだけど残ってるという体験が懐かしいくらい養蚕は身近だったと感じています。
 
シルクという言葉はみなさんが知ってる洋服になるための糸の呼び名で。
シルクの糸になるまでには色々な工程を経て様々な呼び名が出てきます。まず蚕(かいこ)、その次は繭(まゆ)、そしてシルク(絹)キヌともいいます。
 
 
 

秩父の企業は昔は機屋

元々秩父は土地柄農業で発展できなかった山間の土地で、暮らすための資金源の1つが養蚕業でした。秩父の産業を担っていたため住民の9割が、養蚕か機屋でした。そのため繭で財をなしたところは今現在秩父で成功している企業が元をたどれば機屋のところが多いのがとても面白いです。
 
 
例えば、ベルク(スーパー)や和銅鉱泉(旅館)や秩父電子(半導体)矢尾百貨店。
昔は京都と同じくらいシルクで有名で芸者がいたり、歌舞伎がさかんだっり、いまでは全く想像はつかないけどちらほらと昔の情景を残した建物は見ることができます。それほどお金の周りがよかった。だからたくさんの人が集まるところでもあったみたいです。
 
 
昔は秩父ではなく大宮郷とよばれ、秩父神社は妙見神社と呼ばれていました。伝記には秩父神社は、知知夫彦命(ちちぶひこのみこと)が祖神(神として祭る祖先)である八意志兼命(やごころおもいかねのみこと)をまつったことに始まりと記載がありこの知知夫彦命が養蚕を秩父へ持ち込んだのが始まりと言われているみたい。
自分の名前もここから取ったのかと思うくらい何か縁を感じてしまいます。
 

12月の秩父夜祭は繭のお祭り

秩父には毎年12月2日3日に秩父夜祭が開催され、たくさんの観光客が訪れる秩父の一大イベントがあります。
この祭りの日は毎年すごく寒いです。❄️
正確に言うとユネスコ無形文化遺産に登録されている秩父市の師走名物、秩父神社の例大祭「秩父夜祭、京都祇園祭、飛騨高山祭と共に日本三大曳山祭の1つに数えられている有名なお祭りです。
 
しかし秩父の人も観光客もみんなこれが繭のためのお祭りだって全く知らないと思います。
 
 

養蚕農家と秩父銘仙機屋

現在秩父の養蚕農家は7軒。秩父銘仙をしっかり織っているところは3軒。そのまま指をくわえていたら後世に伝え継ぐことはできなくなってしまう。そんな危機感を感じました。
 
中の人からすれば色々手は打っていたり、自分たちでなんとかしなくてはと思ってやっていてると思いますし、いいものも作っていると思います。
 
でも秩父で取れたシルクの糸を使っているかどうかはわかりませんが、そこも難しい関係性があるようです。
 
自分の理想は養蚕農家が育てた蚕が繭になりそれを糸にしてもらい、銘仙を織る、それが売られているという本来の秩父産のように秩父の中で完結できるストーリーの構築が一番の理想です。
 
ただ実際着物が日本人の日常着ではないこの状況で、生産数も減り秩父銘仙というもの自体も技術が少しずつ落ちていき
今後その織物をお金にするためにはどうするべきなのかを今考えなくてはいけません。
 
それが人々の暮らしを支えるようになるにはいかにこの流れをお金に替えるかが、一番のポイントになると考えています。
 
 
 

シルクができるまで

さてまた戻りますが、養蚕農家に焦点を当てます。
 
カイコは、カイコガの幼虫の呼び方です。カイコガはチョウ・ガのなかまです。
カイコは、チョウと同じように約1ヶ月半の短い一生の間に、卵(たまご)→幼虫(ようちゅう)→サナギ→成虫(せいちゅう)と、すがたを変えます。これを、完全変態(かんぜんへんたい)といいます。
また、幼虫(ようちゅう)はそのままでは大きくなれないので、4回大きな皮に脱ぎ変え(脱皮だっぴ)をして成長します。脱皮(だっぴ)をする前には、えさを食べずにじっとして動かなくなります。ねむっているようなので眠(みん)といいます。
 
養蚕農家に置き換えるとまず卵を稚蚕室で成虫まで育てる作業をみんなで協力していきます。
成虫になると各養蚕農家に割り当てられます。それを繭にするまでが養蚕農家の仕事です。桑畑の葉っぱを主食にして育ていき、成虫は口から糸をだし繭たまをつくります。
 
この糸は解いていくと1500mになると言われています。やはり蚕も最終はモスラ蛾になるわけなのでなるべく高い位置に向かって自分の家(繭玉)を作る習性があります。孵化した時にすぐ飛び立てるように。
 
カイコを均等にまぶしと言われる四角の部屋の中に誘導するように配置させます。普通に誘導すると高いところにある部屋しかカイコが行かないため、密集地帯になってしまうため、養蚕農家の方は上が重くなるとまぶしが下に回るような仕掛けを施し、マスのなかに均等に成虫がはいり冬眠できるようにしていきます。
 
 
繭玉になると2週間くらいで、繭の穴を破ってモスラが出てきます。繭玉とはシルクになる糸の原型です。
 
蛾が出てきてしまうと糸にならなくなるため乾繭と言って中のサナギを乾燥させるか、冷凍させて繭玉を守るために中の蛹が出てこないようにします。ちなみに1箱は大体繭の卵が2万個入っています。
 
それを1kg単位でJAなどが協力して売り先を見つけ売っていきます。
 
このように養蚕は秩父には欠かせない産業だったのです。
そんな素晴らしい産業を後世に残すことはできなくても、ここで育った産業が残した証みたいなものが少しでも違った形で世の中に伝わってくれればいいと感じています。
 
繭のお祭りでもある秩父夜祭の歴史や実物が観れるまつり会館
秩父神社の隣にあります。BLACKLTTERSの商品も展開しております。
 
是非足を運んでみてください。
 
 
 

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