秩父のシンボル 天然の石灰石がとれる武甲山

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武甲山とは

 

秩父を見守る山

武甲山。秩父に昔から馴染みの強い山。かなりインパクトが大きく、横瀬駅から西武秩父駅を通る電車をいつも見守っていて、その偉大さに圧倒されます。
 
 
戦争時、兵隊さんが秩父に立ち寄った際にあの山は富士山かと聞かれたくらい当時は珍しく、シンボルとしてそびえ立っていました。標高は1304mで、いまも登山道があり登った際の景色は格別です。
 
 
 
小学校や中学校の夏休みの宿題か何かでいつも武甲山を書かされた記憶しかないくらい秩父人にとっては身近な富士山です。
 
 
昔は左側に犬が走っているような形があったりと、山が削られるごとに色々な形が姿を表していました。
いまではどんどん削られ存在を確認することができません。山の頂上はとんがりコーンみたいな形をしています。
 
 
 
いまも14時になると武甲山の一部を爆破をさせて石灰岩を取るための掘削作業が行われています。
 
 
 
 
 

秩父を支えたセメント事業

秩父の歴史を辿ると、秩父の産業は養蚕や機屋が中心で築き上げられた街になります。
それが次々と時代の流れによって変わってきたのはイギリスの産業革命の時だと言われています。
 
 
 
秩父ではこの武甲山から石灰が取れたため、石灰を採掘するセメント事業が秩父の中心的な事業の1つとなっていきました。
 
 
 
 
 
下記は引用になります。
 
武甲山の石灰岩は日本屈指の良質な大鉱床であり、可採鉱量は約4億トンと推定されています。山の北側斜面が石灰岩質であるために古くから漆喰などの原料として採掘されていました。明治期よりセメントの原料として採掘が始まり、特に1940年(昭和15年)に秩父石灰工業が操業を開始して以降、山姿が変貌するほど大規模な採掘が進められ、とくに北斜面で山体の崩壊が著しい。
 
 
 

渋沢栄一という日本の明治・大正期の実業家

セメント事業はあの深谷市出身で有名な福澤諭吉の次に1万円札になるお方、渋沢栄一が関係してきます。
一人で20社近くも事業を起こした天才実業家。

 

秩父セメントの創業者、諸井恒平 は渋沢栄一のいとこにあたります。

 
 
さて武甲山に戻りますが、秩父鉄道で電車と同じ線路で貨物が武甲山麓から運ばれて秩父セメントの建物に入っていき、そこで加工されセメントが出来上がります。
 
 
 
 

石炭貨物を運営していた秩父鉄道

いつも貨物が入れ替える作業で遮断機が降りっぱなしでイライラした記憶が小さい頃からありました。自分のお爺さんもセメントに勤めており、何度も命を落としかけたと昔からの思い出話を話してくれていました。
 
 
この秩父鉄道も渋沢栄一が経営指針など、いろいろなことに携わっていたと言われています。
 
 
武甲山で上質な石灰岩が取れるのは元々秩父自体が海ですっぽり埋れていたため、武甲山はプレートの隆起からできた山だと推測されています。
 
 
 
秩父のあちこちには昔の地層がはっきりと見える場所が多数存在し、昔は授業で化石採取をしに行き、必ずと言っていいほど貝殻の化石を色々な場所から見つけることができました。
 
 
 
たまにクラスの中の1人が紀元前何世紀にいたであろうサメの歯を見つけたり、恐竜の化石を見つけたり、色々なものを見つけていたのを覚えています。
 
 
 

秩父原人を覚えてますか??

皆さんは覚えてるでしょうか?2000年に旧石器時代の捏造事件。
 
 
北京原人よりも古い日本原人が発掘されたというニュース。これにはもう秩父中がフィーバーでした。
 
 
 
秩父原人というキャラクターまで作られ賑わいを見せていました。場所はミューズパークというアミューズメントパーク。プールや音楽堂施設があり、何故かパルテノン神殿ばりのモニュメントがたくさんあります。
 
 
 
 
 
 
以前は西武鉄道が投資をして秩父活性化を図りました。ピストル堤で有名な西武鉄道の元社長が失脚される後にあまり機能果たさず、市に身売りをしています。まさにその近くで発掘されました。
 
下記がその時の内容です。

 

この「原人ブーム」は2000年、埼玉県秩父市に飛び火する。藤村らが同市の小鹿坂(おがさざか)遺跡から約50万年前の柱穴の跡を発見し、「世界的にも例のない原人の建物遺構」と大々的に報じられたのだ。

秩父市はこれを受けて、イメージキャラクター「秩父原人・チプー」を登場させるとともに、たいまつ行列などを繰り広げる「秩父原人祭り」を開催した。西武秩父駅周辺の商店やレストランでは、「原人定食」や「原人ワイン」、土産菓子「秩父原人の里」などが売り出された。

 

武甲山と秩父神社

少し脱線してしまいましたが、武甲山は秩父を守る守護神みたいなものです。

 

いつも帰郷して武甲山を見るとほっとしましたが、今はどんどん低くなる武甲山を見るともうすぐ崩れてしまうのではと寂しい気持ちになります。

 

武甲山には七夕の彦星 と織姫のようなストーリーがあり、武甲山が男神、秩父神社が女神で、12月3日のお祭りにお互いが会うことを許されたといういい伝えがあるそうです。今で言う不倫のお話です。

 

古くから色々な伝説がある秩父。本当に掘れば掘るほど歴史的には面白い土地柄だと、改めて感じます。是非秩父に来た際には3大神社でもある秩父神社に行ってみてください。

 

日光東照宮にある見ざる、聞かざる、言わざるの反対の彫刻を見ることができます。

 

 

この写真が秩父神社のお元気三猿です。

 

こちらの写真は日光東照宮の見ざる、聞かざる、言わざるの三猿

 

 

武甲山は今も昔も秩父の繁栄も衰退も、みてきています。

 

今後秩父がドーナツ化現象により、過疎化になった場合たとえ観光地で一時的に盛り上がったとしても人手不足や若者不足によって、お祭りや昔ながらの伝統の継承が難しくなる可能性があります。

 

そのためにも弊社が今できることを少しずつでも秩父に還元できるようにしていければと思っています。

 

 

 

フレグランス除菌スプレー

秩父のめぐみを使ったプロダクト。

香りとともに日常を非日常に。

フレグランス除菌スプレー

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商品紹介

名酒『秩父錦』は、寛延二年(1749年)、山深く水清い秩父の仙郷に産声をあげました。以来270有余年、荒川水系の良質な水と秩父盆地特有の寒冷な気候に恵まれ、昔ながらの手作りの技術を今なお活かし、さらに磨きを加え、地酒の持つ芳醇なコクのあるお酒として名声を博しております。
 
今回はそんな酒造メーカーの協力のもと秩父錦のアルコール77を製造していただき、Blacklettersの香水3種類の香りを
合わせた除菌スプレーを発売いたしました。秩父で取れた天然のクロモジとお酒のハーモニーを体験してください。
 
秩父の水や自然で作られたアルコールは柔らかく、馴染みやすい肌触りになります。
 
ルームスプレーとしてもファブリックスプレーとしてもご利用いただけます。
 
ぜひこの機会に香水の香りをお試しください。

この記事を書いた人

堀口 智彦

埼玉県秩父市出身。大学在学中独学で洋服デザインを学ぶ。2007年に渡英しLCF卒業後帰国し自身のメンズブランドを設立。2015年にブランドを休止し、企業にてチーフデザイナーとして3年間従事。その後シルクと黒文字に出会い、現在は株式会社ISILKの代表取締役。

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