【挑戦】秩父から始まるシルク再生の物語——一元化プロジェクトの全貌
はじめに:なぜ今「秩父×シルク」なのか?
かつてシルク産業で栄えた秩父。今、その歴史を受け継ぎながら、未来へとつなぐ新たな挑戦が始まっています。私たちISILKは、秩父の自然・文化・人々と共に、シルク産業の一元化という大きなプロジェクトに取り組んでいます。
このブログでは、なぜ秩父なのか?なぜシルクなのか?そして、どのようにしてこのプロジェクトが動き始めたのかを、背景とともにご紹介します。
秩父とシルクの深い関係
秩父は、かつて繭の生産と絹織物で知られた地域。米の取れない地形から、農家は年貢代わりに繭を生産し、結果的に養蚕と絹の技術が発展しました。
日本三大曳山祭りに見る“絹の文化”
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秩父夜祭:もともとは「絹市」と呼ばれ、繭を売る市場が起源。そこで得た利益を使って、豪華な屋台を建てたことから始まりました。
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祇園祭(京都):西陣織・丹後ちりめんで有名。いずれも絹の名産地。
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高山祭(飛騨高山):養蚕を営む合掌造りの家が並ぶ地域。
これら三大祭りに共通するのは「繭=経済の礎」であったこと。養蚕は“金のなる木”とされ、地域の繁栄を支えたのです。
観光都市・秩父の転換点
2010年以降、秩父は再び注目を集めました。
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2010年:浅田真央選手のお守り騒動で三峯神社に長蛇の列。
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2011年:秩父出身脚本家によるアニメ『あの花』の大ヒット。
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2015年以降:西武鉄道がCMキャンペーンを強化。女優・吉高由里子や土屋太鳳を起用。
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2017年:「祭の湯」温泉施設オープン。
観光の再興は、秩父市にとっても大きな意味を持ちました。地元産業と文化を掛け合わせた“体験型観光”の流れが生まれ始めていたのです。
シルク一元化プロジェクト誕生まで
ISILKが本格的に始動したのは2019年。しかし、秩父のシルクとの出会いは2017年に遡ります。
秩父では大学進学を機に若者が流出し、そのままUターンせず地元企業も減少。かつて存在した大手企業(半導体、セメントなど)も次第に撤退し、地域経済の活力は失われつつありました。
このままではいけないと、市は“観光”にシフト。しかしなかなか思うようにはいかず、色々試行錯誤している現状があります。
その中で観光の起爆剤として私たちは「産業と観光のハイブリッド=シルク復興×観光誘客」の可能性を見出しました。
一元化とは何か?私たちの挑戦
一元化とは、「養蚕 → 製糸 → 織物 → 商品化 → 販売」をすべて秩父で完結させる仕組み。
2018年から養蚕農家との連携を開始し、地域に根ざした織物再生の可能性を模索。さらに、
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黒文字を活かしたフレグランスブランド「BLACKLETTERS」
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シルク由来のスキンケアブランド「SHELOOK」
を展開し、「香り」と「肌ざわり」で秩父の自然を感じられる商品作りを進めてきました。
▶「香りで深呼吸する」ライフスタイルを提案する【BLACKLETTERS】はこちら:https://blackletters.jp/
▶シルクから生まれたスキンケア&インナー【SHELOOK】はこちら:https://isilk.jp/category/shelook/
寺内織物工場との出会い
秩父の旧織物工場をリノベーションし、
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カフェ(蕎麦粉×シルクのガレット)とショップ
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織物や染め体験施設
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精油やクラフト飲料の工房
など、観光・飲食・製造を組み合わせた複合施設の計画を進行。
しかし一度、事情によりこの計画は白紙に戻りました。それでも諦めきれず、仲間と共に「秩父で何ができるか」を考え続けました。
出会いが拓いた新たな展開
その後、黒文字に関心を寄せてくれたS氏や、秩父鉄道の創業家と縁がある方との出会いがありました。
さらに紹介されたI氏からは「広げすぎ。まず“シルク一元化”に集中すべき」と助言を受け、改めて初心に立ち返ることに。
この助言に背中を押され、経済産業省へのプレゼンまで実現。プロジェクトは急速に進展していきました。
未来に向けて——「秩父から世界へ」
トヨタも日産も、実は織物機械から事業をスタートした企業。ベルクも秩父の主婦が始めた店から、今では年商2000億の企業へと成長しています。
シルクもまた、地域に新たな価値を生み出せる“未来の産業”だと私たちは信じています。
私たちのプロジェクトはまだ始まったばかりですが、多くのご縁に背中を押され、着実に前進しています。次回は、一元化実現に向けた技術・組織・資金の課題と、今後のスケジュールについてご紹介します。
▶プロジェクトや製品にご興味ある方は、ISILKまでお気軽にご連絡ください(info@isilk.jp)