藍染とは何か ― 羽生の藍、秩父の絹に見るふたつの伝統

秩父鉄道に揺られて、羽生へ
先日、埼玉県羽生市にある野川染織工業さんへ、藍染めの糸染めを見学しに行ってきました。量産をされている工場ですが、工程の多くにいまも手作業が残っていて、藍という染料そのものの知識も含めて、たくさんのことを学ばせていただきました。
羽生へは、私たちの拠点である秩父から秩父鉄道に乗って向かいます。三峰口から秩父、熊谷を経て、終点が羽生。この一本の線路が、実はふたつの産地の性格の違いを、そのまま体現しているように感じています。
秩父鉄道は、渋沢栄一が出資して設立に関わったことで知られる路線で、創業者は柿原万蔵という人物です。秩父の絹産業と、羽生の織物産業。ふたつの産地を結ぶこの鉄道は、いわば北埼玉のものづくりの背骨のような存在です。
秩父は絹、羽生は藍
秩父は昔から機屋(はたや)が多く、養蚕農家もたくさんいたことで栄えた土地です。私たちISILKが秩父で絹に向き合っているのも、その土地の記憶を受け継ぎたいという思いがあります。
一方の羽生は、足袋や剣道着の袴に使われる藍染めと、刺子(さしこ)と呼ばれる生地で知られてきました。同じ北埼玉でありながら、絹の秩父、藍と綿の羽生と、それぞれ異なる繊維文化が育っていったのは、とても興味深いことだと思います。

秩父
- 養蚕・製糸・機織り
- 絹(シルク)中心の産地
- 荒川水系の土地
羽生
- 藍染め・刺子・足袋
- 綿(コットン)と藍の産地
- 利根川水系の土地
藍が宿す、もうひとつの機能
近代化の波の中で、シルクが少しずつ衰退していったのと時を同じくして、綿に藍を染色するという技法が発展していきました。剣道着の袴に藍染めが使われてきたのには、単なる色や見た目だけではない理由があります。
藍には古くから、防虫・消臭・紫外線防止といった機能があるとされ、なかでも藍に含まれる成分には強い抗菌作用があることが知られています。剣道の世界には、「刀で切られたときも、藍の抗菌性によって傷口が化膿するのを防いだ可能性がある」という言い伝えが残っています。
染めという行為が単なる装飾ではなく、機能と信仰が入り混じった、暮らしの知恵そのものだったのだと、あらためて実感しました。
しかし、そうした昔ながらの本格的な藍染めの技法を今も守っている工房は、羽生にはもう1、2軒しか残っていないそうです。

暴れ川が育てた藍
羽生の土壌がなぜ藍の栽培に適していたのか。その答えは利根川にあります。利根川は古くから「暴れ川」と呼ばれ、何度も氾濫を繰り返してきました。その氾濫のたびに上流から運ばれてくる肥沃な土が、羽生の大地を育てていったのです。
そしてその土壌こそが、藍の草花がよく育つ起因にもなりました。秩父において荒川が桑畑を支えてきたように、羽生では利根川が藍畑を支えてきた。ふたつの川が、それぞれの繊維産業の土台をつくってきたというのは、あらためて地理と産業の結びつきを感じさせてくれます。
藍の正体 ― ポリゴナム・チンクトリウムとインディゴ
藍という植物は、学名をポリゴナム・チンクトリウムといい、日本には奈良時代に中国から渡来したと言われています。
デニムの色として馴染み深い「インディゴ」は、この藍に含まれる色素の名前です。もともとはインドで採れる藍にその名がつけられたもので、インディゴという言葉自体が「インドのもの」という意味を持っています。
ひとつの染料が、中国からアジアを経て日本に渡り、一方でインドからヨーロッパへも渡っていった。藍という植物が辿った道のりの広さに、あらためて驚かされます。

五代目が守るもの
そんな昔ながらの伝統を、野川染織工業さんでは五代目が受け継いでいらっしゃいます。時代が移り変わり、シルクも綿織物も工業化・海外生産化が進むなかで、それでも藍染めという技法をきちんと事業として成り立たせながら、伝統を守り続けている。その姿勢に、本当に頭が下がります。
日本の伝統というのは、こうして時代に逆行しながらも、しっかりビジネスとして成立させることで守られていくものだと思います。進化は必要です。けれど、進化させながらも、もっと大切な何かを守り続けていく ― その両立こそが、伝統工芸が生き残っていくための本質なのだと感じました。
あみそ、ひびろ、雨糸 ― 呼び名は違えど
糸染めの現場で教えていただいた話の中で、特に印象的だったのが「綛(かせ)」の仕付け方の呼び名です。糸を染める際、糸の束(綛)が絡まないよう、裏表に糸を通してしつけておく技法があるのですが、この呼び方が地域によって全く異なるのです。
同じ技法でも、シルクか綿か、関東か関西かによって呼び名が変わっていく。こうした呼称の多様さそのものが、日本各地でものづくりが独自に発展してきた証だと思います。
そして何より、その技法が形を変えながらも今の時代にしっかり残っていること、そしてこれからも進化し続けていくこと ― それがとても尊いことだと感じます。
秩父との共通点
羽生の藍染めと、秩父の絹。素材も技法もまったく違いますが、工場に足を運ぶたびに感じるのは、根っこにある姿勢の共通点です。
どちらも、量産という時代の要請と、手作業でしか成し得ない工程との間で折り合いをつけながら続いてきました。どちらも、後継者が少なくなるなかで、それでも技を絶やさず次の世代へつなごうとしています。そしてどちらも、川という自然の恵み ― 秩父なら荒川、羽生なら利根川 ― の上に、産業が育まれてきました。
私たちがシルクを通じて秩父の土地の記憶をつなごうとしているように、羽生の藍染め職人さんたちも、綿と藍を通じて土地の記憶をつないでいらっしゃる。同じ埼玉県内で、同じ秩父鉄道の沿線で、そうした営みが今も並行して続いていることに、とても勇気をもらいます。
工場に行くたびに、その情景にいつも胸を打たれます。淡々と繰り返される手仕事の向こうに、何百年という時間の積み重ねが見えるからだと思います。羽生の藍も、秩父の絹も、これからも大切に見つめ続けていきたいと思います。
