秩父のテーマパーク、ミューズパークは今!


西武秩父のラヴュー 特急電車

秩父を第二の箱根に

秩父の鉄道2社とは。

現在秩父には2社の鉄道があります。

秩父鉄道と西武鉄道。

秩父鉄道は三峰口から熊谷を経由して羽生まで。

SLがいまだに秩父を14時に通る汽笛の音は健在です。

西武鉄道は秩父線と池袋線に分かれ、飯能で乗り換えをして所沢、池袋へと都心と秩父を結ぶ路線になります。 レッドアロー号の特急に乗れば1時間20分で西武秩父駅まで直通の列車があります。 今年ラビューに変わりましたが、秩父から都内に行くための1つの手段です。

秩父を駆け抜けるSL

 

秩父の今

西武鉄道は近年秩父をPRすることで2010年あたりから力を入れてきました。

女優の吉高由里子さんを起用したCMや土屋太鳳さんを起用したCMなどなど。 CMによって日帰りでの週末トラベルの場所として知名度はぐん!とUPしました。

その中でもあの花の名前を私は知らないと漫画の舞台にもなった吉田町の龍勢のお祭りや秩父風景を映画の実写化放映によって秩父に訪れる観光客が増えたり、以前より秩父市役所の職員によって企画された 芝桜の観光客が特に4月から5月の満開時期に一気に押し寄せたりと、秩父の秩父夜祭りをはじめ、多くの観光地はあったもののイマイチパッとしない印象でしたが、この時期からすごく盛り上がってきたと感じています。 秩父には年間300ものお祭りがあると言われている所以です。

バンクーバーオリンピックで浅田真央ちゃんが三峰神社の白い気のお守りを持っていたことで一気にパワースポットとして人気を博した三峯神社。毎月1日の日に整理券が配られて手に入れられるお守り。 これにより、大滝の一本道が渋滞により地元の人が仕事に行けないといった事態も起こったほどでした。

色々なメディアとのタイアップにより近年までは順調に観光客が来ていただける 土俵は整いつつありました。

 

三峰神社の鳥居

 

秩父ミューズパークとは

その昔西武鉄道はバブル時代に各地にリゾート施設を開発をし、プリンスホテルや商業施設を展開してきました。ここ最近2015年の海外資本のTOBにより一時期は経営も厳しく、堤前社長のお家騒動もあり色々と苦労した時を経て現在に至りますが、その過程で生まれたのが秩父ミューズパーク1991年オープンでした。

ミューズパークにあるアテネ調の建物

夏はプール。冬はスケートリンク。今まで秩父には芦ヶ久保にしかなかったスケートリンクが、秩父に2つもありました。野外コンサート場やゴルフ場、テニスコートやコテージ。児童公園などなど。

下記記事を抜粋いたします。

秩父ミューズパーク(チチブミューズパーク)は、埼玉県秩父郡にある公園。秩父市と小鹿野町にまたがる長尾根丘陵に設置された公園で、敷地面積は約375ヘクタールを誇る。

園内は、スポーツの森ゾーン、音楽の森ゾーン、文化の森ゾーンで構成。音楽堂・野外ステージ、噴水広場“ミューズの泉”、大庭園、テニスコート、プールなど、芸術・文化施設、多彩なスポーツ施設を内包する。また、それぞれのゾーンは、全長約3kmの遊歩道とサイクリングロード“スカイロード”によって接続されており、汽車型の“スカイトレイン”が運行している。 なお、展望台、軽食堂、カフェ、入浴施設なども併設する。

こんな広大な土地にすごい施設ができたんです。 できてから10年くらいは良かった印象があります。 ただ気になったのはやはり立地。秩父の人はあまり電車とバスを使いません。

かなりの不便な土地です。高校卒業するとみんなこぞって自動車学校に免許を取りに通いだします。なぜかというと、車がないと生活できないからです。

西武鉄道の終点西武秩父からミューズパークまで行くまでにバスしかありません。 それも1時間に1、2本。そこにはコンビニもなく一度入ってしまうとなかなか欲しいものが手に入らないという現状です。これもミューズパークの経営がうまくいかなかった要因でもあると思います。

そこから下記のような流れになりました。

朝日新聞埼玉版掲載の「リゾート開発はいま 晩秋の秩父から2 夢の残骸」(1990年11月21日付)という記事によると、ファミリーパークは開園の2年ほど後にひっそりと閉鎖したという。記事によると、西武鉄道は秩父では失敗続きで、ロッジなどいくつかの観光施設が数年で閉鎖したという。

西武秩父線の建設に多大なコストがかかり、沿線の本格開発まで手が回らなかったのだろう

その後、1991年(平成3年)には西武鉄道と埼玉県が共同で開発した「秩父ミューズパーク」が開園し、テニスコートやアイススケート場がオープンする。しかしこちらも赤字続きで経営は苦しく、ついに2006年末、西武グループは施設を秩父市に無償で譲り渡した。

西武秩父線、軽井沢延伸構想の真相は?

「かつて西武秩父線の軽井沢延伸構想があった」

もともと秩父ミューズパークができたのはゴールではなく続きがありました。 当時の元コクド、西武グループの経営者堤康次郎氏になります。ピストル堤と言われるくらい豪快な方だったそうです。

彼の構想としては池袋、秩父、軽井沢を一本の鉄道で通すこと。秩父がゴールではなく軽井沢がゴールだと考えられていました。その中間点として秩父ミューズパークがあったと考えられています。 そこから息子の堤義明氏に引き継がれましたが、JRが軽井沢に新幹線を作ったことにより その計画は消滅してしまったそうです。

またその頃からバブルが終わりに近づき、リゾート開発によっての利益が少なくなっていく 現状での莫大な投資はできなかったのではと思います。 最終的には2006年末に秩父市に無償で譲り渡し、今は各施設によっては民間に委託し 運営をしているというのが現状です。

ミューズパークから見る武甲山

今後のミューズパーク

そんなミューズパークですが、もう一度復活できないか。 そう考えるようになりました。

秩父は自然をメインにしているし、自然がたくさんあり広大な土地もある。 農業を始め、秩父には自然から取れためぐみがたくさんある。

秩父に来ても、まとめて秩父のいいものに触れる機会があまりない。

それをまとめることもできずに、みんな別々で行動をし、うまく生かしきれない。 昔から秩父は自営業が多かったため、やはり協力して何かを成し遂げるということを してこなかったのか。その辺りはわからないけれども、それによって養蚕農家や 秩父銘仙機織りなど次の世代に継承されないままこの世から消えてしまう。

もうそこまで、その時は来てしまっているけれども、それを知っていて指をくわえて見ているしかできない現状。

この状況をなんとか打破できたらいいと思っています。

そんな中秩父のクロモジ を使った精油をベースにしたフレグランスブランドを設立。

もしよろしければ見てみてください。  

 

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フレグランス除菌スプレー

秩父のめぐみを使ったプロダクト。

香りとともに日常を非日常に。

フレグランス除菌スプレー

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商品紹介

名酒『秩父錦』は、寛延二年(1749年)、山深く水清い秩父の仙郷に産声をあげました。以来270有余年、荒川水系の良質な水と秩父盆地特有の寒冷な気候に恵まれ、昔ながらの手作りの技術を今なお活かし、さらに磨きを加え、地酒の持つ芳醇なコクのあるお酒として名声を博しております。
 
今回はそんな酒造メーカーの協力のもと秩父錦のアルコール77を製造していただき、Blacklettersの香水3種類の香りを
合わせた除菌スプレーを発売いたしました。秩父で取れた天然のクロモジとお酒のハーモニーを体験してください。
 
秩父の水や自然で作られたアルコールは柔らかく、馴染みやすい肌触りになります。
 
ルームスプレーとしてもファブリックスプレーとしてもご利用いただけます。
 
ぜひこの機会に香水の香りをお試しください。

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