秩父夜祭りの歴史を紐解く

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秩父の人にとっての冬の風物詩

昔から秩父の人にとっては冬の風物詩として秩父夜祭は一大イベントの1つです。半年前から秩父屋台囃子の太鼓の音が聞こえ、屋台は櫓に保管されている屋台を組み立て冬の一番寒い12月2日3日に向けて地域の消防団が中心として準備を進めます。

秩父夜祭は京都の祇園祭、飛騨の高山祭と並んで日本三大曳き祭りの1つに数えられユネスコ無形文化遺産に登録されています。 始まりはおよそ300年前だと言われています。

 

祭りの流れは午後6時半頃に御神幸行列が秩父神社を出発する。先頭は、先導大麻、大榊、猿田彦、日月万燈、楽人、錦旗、御手箱、太刀箱の列である。次に氏子町会の供物・高張提灯の長い列が続く。その後ろに、御神饌、大幣、そして御霊が遷された神輿、宮司、大総代、2頭の神馬が続く。笠鉾・屋台行列は御神幸行列の後であり、秩父神社を午後7時頃から順次出発する。 御旅所への到着は、御神幸行列が午後8時頃、笠鉾・屋台行列はその後、午後10時頃にかけてである。御旅所の手前に団子坂があり、笠鉾・屋台がそれぞれ一気に曳き上げられる。同時に、煙火町会による奉納花火や観光協会主催の花火の打ち上げも行われ、団子坂の曳き上げや御旅所に整列する頃が祭りの最高潮となる。

笠鉾・屋台の整列が終わると御旅所斎場祭が厳かに行われる。斎場祭終了後、4日午前0時頃から団子坂の曳き下ろしが行われ、笠鉾・屋台は収蔵庫へ向けて帰還する。また御神幸行列が御旅所を出発し、秩父神社に還幸するという流れがお祭りのしきたりになります。

笠鉾の種類

屋台にはそれぞれ特徴はありますが、

中近笠鉾は中村町・近戸町の2町会が管理

下郷笠鉾は金室町、永田町、柳田町、阿保町、大畑町、滝上町の6町会が管理、この下郷が秩父の屋台の中では最大の山車になります。

 

 

宮地屋台は上宮地・中宮地・下宮地の宮地地区が管理

 

上町屋台は牡丹に唐獅子の水引幕、鯉の滝上りの後幕の刺繍も見事なものがある

 

中町屋台は歌舞伎上演の廻り舞台の機構がすぐれている

本町屋台は賑やかな腰組み、屋根まわりの竜の彫刻、唐獅子の軒支輪(のきしりん)、屋根の箱棟の金箔等彫刻や装飾に財力を注いでいる

 

 

上記の6台が秩父の街を二百人ほどの引き手とともに秩父市内を進みます。

屋台の前方には4名の囃子手と呼ばれる青年たちが乗っています。この囃子手は一生に一度しかなれないことから、大役に抜擢された青年たちは、気合を入れてこの日に臨んでいます。

県外から毎年20万人から30万人の人が一夜に観光バスや電車を乗り継いでたくさんの人が押し寄せ、大変賑やかなお祭りです。

伝説として受け継がれる物語

地元で最も知れ渡っている有名な伝説は武甲山の男神(蛇神・蔵王権現)秩父神社の女神(妙見菩薩)が年に一度の逢瀬を楽しむというものである。これが秩父夜祭の始まりである。 まるで七夕の彦星と織姫ですね。

 

秩父夜祭の笠鉾や屋台は釘を一本も使わずに組み立てられており、金色の飾り具や極彩色の彫刻、金糸の刺繍で装飾された笠鉾や屋台は動く陽明門と言われるほど豪華絢爛で重要有形民俗文化財に指定されています。

 

もともとは300年前に始まったとされ、これに付随して秩父では養蚕・絹織が盛んであったため、お祭りに合わせて年に一度霜月大祭と同時に絹大市も行われ全国の繭業者が集まり、取引が盛んになったと言われています。

 

昔は大宮郷と呼ばれていた秩父市

秩父昔は大宮郷と呼ばれていた訳ですが、地元で稼いだお金は屋台の豪華さを競わせるようにたくさんのお金が注ぎ込まれたと言われています。

 

また歴史上京都と同じくらい秩父には人がたくさん集まり、娯楽であった歌舞伎や芸者がたくさんいたと言われています。 今でも町並みには城下町だったころの面影の建物が所々で見ることができます。

 

それくらいこのお祭りのパワーとこの秩父の土地でお金の元となった養蚕は秩父の人たちには欠かせない生活の一部だったと思います。そんな秩父は本当にたくさんの良いところがあります。

秩父夜祭りを知る上で、是非行っていただきたいのが、秩父まつり会館。秩父神社の隣にあり、2019年にリニューアルしました。秩父の歴史からお祭りが発展するまでを知ることができます。

おみあげコーナーには弊社商品も展開しております。是非ご覧ください。

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