日本に入ってきた香水の歴史
日本に入ってきた香水の歴史
日本の香水の市場の規模はフランスの3分の1ほどです。
それに対してスキンケア使用は6倍と言われています。
日本は欧米諸国に比較してフレグランス商品、中でも肌に直接つける香水は人気がないと言われています。
しかに日本人の身近には香りが必ず身近にあります。トイレタリーのようなヘアケアや衣料用の柔軟剤の香りや食品に使われる香料など色々な商品に取り入れられています。
昔から現代に渡り、日本の香水産業の9割は海外製の香水が輸入され、そのうちの半分はフランス製ブランドになっています。
バラ水=ローズウォーター
日本では初めて香水が日本に入ってきたのは江戸時代だと言われています。その当時日本に伝えられたのは香りのついた「バラ水=ローズウォーター」であった。
種子島に鉄砲が伝わったころ、オランダ人によって持ち込まれたローズウォーター。水蒸気蒸留器によって作られたり、塩化アンモニウム水を加えて腐らないようにしていたそうです。
また黒船で知られるペリーが横浜に来航した時の日本の贈り物リストの中には香水がギフトとして渡されたと言われています。
ただその頃アメリカには香水を製造する会社は存在しなかった。つまりこれらの香水はフランス製であったと言われています。
そのため国産の香水は1913年ころから盛んにつけられ、今でもスキンケアの国内シェアの4割を占めている資生堂も名を連ねています。
煙と香
香(香料、香水、芳香)を示す英語「Perfume」が「Per(throught)+fume(煙)」、すなわち煙を通してという意味であることからも、人が良い香りに接した最初の方法が芳香物質に偶然火を点けることであったと想像できます。
お香なども室町時代の頃から既に中国から入ってきたと言われているため
火を使った香りというものは全世界的に、神を祀るために使われてきたものであると考えられます。
パロサント
例えば南米で取れるパラサントもインカ帝国の時代からアンデスのシャーマンが大切にしており、ヒーリングや儀式で場を清める際に使用されている聖なる木。
ミルラ
エジプトでは聖なる木と言われ、黄金と同じくらいの価値として知られる没薬(ミルラ)。火を焚いて使われ、エジプトのミイラの語源はミルラからきていると言われているほど、死者を神に捧げるという意味ではエジプト人にとっては神聖な香りになっています。
効果としては殺菌作用や鎮静剤、鎮痛薬としても使用されていました。
東方の三博士がイエスキリストに捧げた贈り物の中に没薬があり、これは救世主を象徴しているとされ、イエスキリストの埋葬場面でも痛いとともに没薬を含む香りが埋葬されていたと言われています。
シルクロード(絹の道)では黄金と同じくらい香料は高価なものだったため、ヨーロッパからアジアで流通したと言われています。
その中には乳香(フランキンセンス)や没薬(ミルラ)、白檀(サンダルウッド)と言われています。
沈香
日本のお香の聖地淡路島は推古三年(595年)、漂着した一本の流木。島人が火にくべましたところ、喩えようのない芳香が立ち上り、島人は驚愕します。
その流木は都へと運ばれ、推古女帝に献上されました。そのとき摂政だった聖徳太子が、これは稀有の至宝「沈香」であると教えたそうです。
と言われるように昔から木から董香りは聖なる香り、木として歴史を作ってきました。
埼玉県秩父で取れるクロモジ の木も聖なる木として神に祀る際に使用されていました。浄化という意味でも神と隣り合わせな香りは人を落ちつかせる。そんな効果があるのかもしれません。
フレグランス除菌スプレー
秩父のめぐみを使ったプロダクト。
香りとともに日常を非日常に。
フレグランス除菌スプレー
商品紹介
名酒『秩父錦』は、寛延二年(1749年)、山深く水清い秩父の仙郷に産声をあげました。以来270有余年、荒川水系の良質な水と秩父盆地特有の寒冷な気候に恵まれ、昔ながらの手作りの技術を今なお活かし、さらに磨きを加え、地酒の持つ芳醇なコクのあるお酒として名声を博しております。
今回はそんな酒造メーカーの協力のもと秩父錦のアルコール77を製造していただき、Blacklettersの香水3種類の香りを
合わせた除菌スプレーを発売いたしました。秩父で取れた天然のクロモジとお酒のハーモニーを体験してください。
秩父の水や自然で作られたアルコールは柔らかく、馴染みやすい肌触りになります。
ルームスプレーとしてもファブリックスプレーとしてもご利用いただけます。
ぜひこの機会に香水の香りをお試しください。
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